BLと友情の違いを腐女子が理解できないワケ

2021年7月24日土曜日

原因・理由

t f B! P L
ブロマンスについて検索したら関連キーワードに"BL 友情 違い"と表示されました。

その羅列で思い出したのが「BLじゃない」論争
あの『BANANA FISH(以下、BF)』や『ユーリ!!! on Ice』でお馴染みの議論です。

BANANAFISHはBLなんかじゃないというバナナフィッシュ学級会
https://togetter.com/li/1164207

これ、そんなにムキになることなんでしょうか。

恋愛も友情も互いを想い合っていることに変わりはないし。
「同性愛的」という感想に侮蔑の意図は込められていないと思うのですが。

年代的に「JUNEっぽい」言うたら良かったんか?

何より不思議なのが否定派の中心が腐女子という点です。
腐が「BL"なんか"じゃない」とか言ってる。

どうして自分の好きなもの(BL)を"なんか"と言い捨てられるの?
腐向けに見える人とそうでない人の違いは何?


今回はこの二点について、思いつく限りの詭弁を弄しまくってみようと思います。
なぜ私は恋愛と友情(あるいは憎悪)を混同してしまうのか、その理由です。

※スーパー長文なので目次を参考にしてください。

結論から言うと


私個人に関して言えば単純に友情よりもロマンスの方が好きなだけです。
BLでなくてもカップリングを考える人はみんなそうでしょうけど。

その顕著な例がアナ雪の公開後に流行ったジャエルというカップリング。
本編でエルサが恋をしないため、別作品のキャラをあてがったらしい二次創作です。

映画のレビューでも明確な恋愛要素がないことに不満を訴えている人がいました。
果ては「男がダメなら女はどう?!」という人たちまで登場。

「エルサに女性の恋人を」、アナ雪ファンの訴え広がる
https://www.cnn.co.jp/showbiz/35082147.html

このようにカップルエンドでないと消化不良に陥る、そういう層もいるということです。
腐女子の場合はもっと露骨に「好きなキャラの痴態が見たい」という感じですが。

商業BLではダメなのか


それなら初めから恋愛物を見ればいい?

いえいえ、二次腐は腐女子である前に特定の分野のオタクです。
SFやミステリが好きならそちらを優先して読みます。

商業BLは性愛がハイライトなので、プロットや設定がおざなりで物足りないのが本音。
BLは副次的な娯楽でメインで読みたいテーマではないという人もいます。

ただ恐ろしいのは、長らく腐女子でいると妄想が習慣化するということ。
そうなると何を見ても無意識にカップリングを考えるようになるのです。

とは言えど、殆どの人は本編が"そうでない"ことを十分に分かっているはず。
標準的な読解力があれば無理なく理解できるでしょうから。

その上でif妄想を楽しんでいるように見えます。

しかし先のまとめを見ると、他人の妄想にケチをつける野暮な人がいるんですね。
原作と同人誌を同じ土俵で語るとは。

それならこちらもその前提に倣います。
論が破綻していても前提のせいですよ!

「BLじゃない」派の言い分


  • 公式設定にない
  • レーベルが一般向け
  • ただの友情

今更ですが、この中に同人活動をしている人が多いのも謎ですね。
他の作品は腐向けアリで、アッシュと英二はダメな理由を問いたいです。

「子供の頃に読んだから今更そういう風に見れない」と聞いたことがありますが。
裏を返せば「腐ってから読んでたらカプにしてた」ってことでしょうか。

それはともかく争点は主に上の三つのようでした。
とりあえずはここから考えてみます。

話の流れでBFを例に使っていますが、どの作品にも共通する内容です。
「ウテナは百合じゃない」論争など女性同士に置き換えても成立します。

「作者が明言していない」


という理由で「ゲイではなくブロマンスだ」と言います。
しかしこれも作者の言かどうか怪しいところ。

それ以前にキャラクターのセクシャリティが不明なんですよ。
登場人物紹介にそこまで書いてあることは稀ですから。

それなら「異性愛者とは限らない」とも考えられませんか?


確かに下世話な話題だから省略されているだけでバイセクシャルかもしれない。
傾向的に異性を愛す人の割合が高いが、それが"当たり前"ではない。

これは本編に描かれたことが全てという人には受け容れがたい思考かもしれません。
しかし後年になって裏設定や草稿が公開されることもあります。

ギルガメシュ叙事詩は143年ぶりに新設定が追加されました。
1872年の発掘で欠けていた粘土板の一部が2015年に発見されたためです。

BFも連載終了後のインタビューでは作者の言葉が二転三転します。

ラスト、あそこでアッシュが死ななかったら、あの後、2人は一線を越えてたよね?と聞かれて、吉田先生が、そう思う、と答えられた

引用元:「BANANA FISH」から長年の疑問の答えを得るhttp://skizlimit.blog.fc2.com/blog-entry-806.html?sp

この話の出典は不明ですが、制作側の主張が変化する可能性は念頭に置くべきです。
掲載先の読者層に合わせてリップサービスをすることもあるでしょう。

その一例が「読者のご想像にお任せします」とかいう定型句。
これでは明言せずとも容認したのと同じです。

ですから作者の発言と言えども論拠に乏しいと私は考えています。

「BLレーベルから刊行されていない」


「少女誌で描かれている以上は少女漫画」。
それはそうなのですが、同性愛もの=腐向けと誤解している人もいたので一言。

女性向けでなくともホモセクシュアルが描かれることはあります。
その場合はLGBT作品と呼ばれることが多いですが。

それとは別に、普及に伴い語義が拡大していることにも注目です。

"ボーイズ・ラブ"はもともと出版社が作った造語で商業作品のみを言いました。
それが今や二次創作も含め「男性同士の恋愛を扱う娯楽作品」の総称になっています。

少年誌や青年誌で腐向け同人誌のパロディを見ることも珍しくありません。
同性愛をギャグにしている場合も(読者から)"BLネタ"と言われます。

近年では新聞の書評欄でも目にするようになりました。
使い方が更に広がりカジュアルな修飾語になっています。

以下はミュッセ著『ロレンザッチョ (光文社古典新訳文庫)』のレビュー。

メディチ家の好色な暴君を暗殺するテロリストが主人公。政治劇でありながらボーイズラブ風の恋愛劇でもある。

引用元:『朝日新聞』 2016年10月09日(日)付 「読書」面

もうレーベルも正誤も関係ありません。
巷では既に"アヤシイ関係"の比喩として定着しているようです。

それも「~風」や「~ぽい」に留まり、断定しているわけではない。
似ていると言っているだけで、そこまで目くじら立てなくても……と思います。

「恋愛ではなく友情」


「BLのLはラブで恋愛のことだから、この二人の関係には当てはまらない」という話。

まずLOVEの意味は性愛だけではありません。
友愛や敬愛のほか家族愛も含まれます。

また恋愛の中にもプラトニックな同性愛(デミロマンティック)が存在します。
反対に肉体関係があっても友人(セフレ)というケースも。

恋愛と友情の違いが判らないクォイセクシュアルの可能性もあります。

クワ(クォイ)セクシュアルとは?【恋愛と友情の違いがわからない!】
https://jobrainbow.jp/magazine/whatisquoisexual

何事も人それぞれで、交際の実態を知るのは当事者のみです。
つまるところ外野の私たちが断言できることは何一つないのです。

ましてや架空の人物なら尚のことでしょう。

これは「攻め・受け」に関しても同じことが言えます。
逆カプや解釈がどうのという話も勝手な思い込みによるヒステリーに他なりません。

妄想に正解もクソもあるかって話ですよ。

仮に恋人だとしても、なぜ人の性生活に干渉(攻め・受けを設定)しようとするのか。
そしてなぜ自分の思い通りの組み合わせでないと怒るのか。

世のカップルはアナタを楽しませるために恋愛してるわけじゃないんですよ。
これもまた一つの偏見ですが、でもこう考えることで冷静になれます。

恋と愛の違い


  • 忍耐と許容の果てにある
  • ケンカップル好きに朗報

ラブという言葉が日本に入ってきたのは明治時代のことです。
歴史が浅く日常的に使う言葉でもないため理解が曖昧な人も多いのでは?

その語源と本来の意味を知ればボーイズラブの定義が変わるかもしれません。

愛とは赦すこと


LOVEという概念の原典は聖書で、一般に"赦すこと(隣人愛)"を指します。
それは周囲を思いやり、憎しみや不満を表に出さないように努める心がけです。

人間関係においては失望することがあっても受け容れるという意味になります。
この語義に従えば男性二人が互いに許し合える仲になればBLです。

映画で犯罪の容疑者になった息子に母親が「愛してる」と言うシーンが典型的です。
兄弟にも言うことがありますが、それもこういう意味合いからです。

どんなことがあっても見捨てず、最後まで支え続ける。
単純に好意を抱く恋と比べ人を許すのには更に深い情が必要だと分かります。

そう考えると至上のロマンスは敵同士で愛が芽生えることでしょうね。

腐女子はBLが描けない?


ところで、本当にラブであればかなりドラマチックな展開になります。
それもそのはず、母の愛に匹敵する情を他人に抱くなど尋常ではありません。

まず双方が己よりも他者を尊重する成熟した精神の持ち主でなければならない。
その上で相性や出会うタイミングも重要――となると確率的に難があります。

だからこそ"運命の相手"と言うわけですが。

とある洋ドラでは「愛している」は非常に重い言葉だと説明されていました。
確かに家族、ペット、交際期間の長い恋人、大親友以外に言うのを見たことがない。

初々しいカップルが言っていれば、それは"付き合いたて"だからです。

一般的な恋愛漫画も"付き合いたて"に近い内容です。
BLで交際歴の長いカップルがメインの話はあまり見掛けません。

ラブと言いつつも、その愛に至る過程が描かれていないのです。
恋愛の恋しかない状態です。

つまり腐女子の創作(同人)の方こそ「BLではない」と言えます。

その点、アッシュと英二の間には献身と犠牲がありました。
彼らは(彼らこそ)字義通りの"ボーイズラブ"です。

意見が割れる要因


  • 経験と見識の差
  • 感受性の度合い

そもそも私たちは何を基準に「見える・見えない」と言っているのか。
それはおそらく経験則からです。

例えば書評する時に、それとなく過去に読んだ本と比較していませんか?

スケベ度のバロメーター


見えない派はやたらとブロマンスを称揚しています。
プラトニックな関係は腐向けでも読めるのに、なぜそこまで持ち上げるのか。

【関連記事】 ブロマンスは好き?嫌い?魅力と問題点

それには個々人のBLに対する認識(イメージ)が関係しているのかもしれません。
なんせ比較材料はこれまでに見聞きした情報のみですからね。

私自身の例を挙げると、二次創作で読むのはギャグかポエム系シリアスばかりです。
年齢制限付きは何となく避けています。

そのせいか、自分が腐女子であることに後ろめたさを感じたことがありません。
やおいは少女漫画の派生という認識です。

ところが、世間での印象はポルノなんですよね。
これはWeb広告やpixivの評価から察せられます。

同じ腐向けでもR18タグが付いているか否かで閲覧数の桁が段違いです。
商業作品も(表紙とレビューを見る限り)性描写がかなり重視されています。

それだけ需要がある、要するに腐女子の大多数がスケベなわけです。

そして自分が読んできたポルノと『BANANA FISH』を比べて「違う」と言っている。
片やポエムしか読まへん私からしたら「大差ない」となる。

そこから類推すると、否定派はドスケベか偏見でものを言っている人に絞られます。
BLにもバリエーションがあると知っていれば、そこまで頑なに否定しないはずです。

男性の感想も千差万別


ではBLと無縁な人の場合は?

その昔、腐人気の高い作品の感想を読み漁っていました。
すると意外なことに男性の評価が両極端に分かれていたのです。

なかには五條瑛の鉱石シリーズ「なぜ腐女子に人気なのか分からない」人も。

男が男のネクタイを解くなど直截的なシーンが山ほどあるにも関わらず、ですよ。
完全ノンケの人はそのテの描写を無意識に読み飛ばしてしまうのでしょうか。

かと思えば福永武彦の『草の花』自身の青春を重ねる人がいたり。
「自分も友人に恋に似た感情を持っていた時期があるので懐かしい」とかなんとか。

高村薫の『李歐』は作者曰く年配の男性に評判が良かったそうです。
男同士の絆が旧制高校の気風に似ており、こちらも読者の思い出を喚起した模様。

または「文学では同性愛は珍しくないので慣れた」という男性など。
これは福島次郎の『蝶のかたみ』の感想でした。

以上はすべて大昔に読んだブログやネット掲示板からのうろ覚え引用です。
(URLが見当たらず参照元を紹介できませんでした、スミマセン。)

ただ何となく、この種のテーマに対する反応に育ちと教養が表れることが分かります。

人間不信なのかも


そこで遂に今回の主題です。
友情を理解できないのは私だけなのか?

前に「腐女子は男の友情を理解できないから恋愛に変換する」という考察を読みました。
ですが同時期に男同士の友情に懐疑的な男性も見たのです。

男女の友情を否定する男の人は多いけど、同性が相手でもありえないと。
信じないにしても「そうだったら良いのに」と憧れることすらないのかと驚きました。

この傾向は極端に腐向けを嫌う人の間で強いように感じます。
男性同士が親密な描写に対し「BLなんて見たくない」と怒り出すような人たちです。

見たくないも何も、告白シーンがないなら(まだ)友達でしょうに。
感傷的な一コマだけを見て恋愛と断じるなら私と同レベルですよ。

知恵袋でも似たような質問を何度か見掛けました。

「○○って腐向けですか?表紙がそれっぽく見えて……。
 BLが苦手なので、そういった要素があれば教えてください」

苦手と言いながら自分から見出している矛盾に気付かないのでしょうか。
(その直感が当たっていることもありますけどね。)

親友がいない


他方、『李歐』を読んで青年時代を思い起こすおじいさんもいるわけですよ。
「惚れたって言えよ」に違和を感じない人が!

この差は一体なんなのか。
自分が見てきた範囲で区別するとこうなりました。

ホモエロティックな描写への反応

◆ 肯定的な人 ◆

本をよく読む
ホモソーシャルな環境と縁がある
性的マイノリティ

◆ 否定的な人 ◆

読書習慣がない
対人関係に淡泊
腐アンチ

思うに、両者の違いは「深い友情を感じた経験の有無」ではないでしょうか。
(読書好きな人も本を通じて追体験していると仮定。)

経験している人には思春期の通過儀礼としか映らない。
逆に他者と深く関わらない人は友情自体を青臭い幻想と見ているかもしれない。

だから命を懸けるほど他人を想うなんて恋愛以外ないと思い込んでいる。
そこから「あり得ない」だの「腐向け」だのといった感想が出てくる。

というのは私の勝手な当て推量ですが、このことは長年の疑問なのです。
腐女子でもないのに「びーえるびーえる」と騒ぐ人は何が見えてるんだろう、と。

申し訳ないですが「親友がいない人なんだろうな」と仲間意識を抱いてしまいます。

「BLっぽい」と言われる所以


  • 作者の趣味が滲み出ている
  • "ぽい"ではなく"ガチ"だった

しかし勝手な決めつけはよくないですね。
火のないところに煙は立たずとも言います。

多くの人が疑うにはそれなりの根拠があるのではと思い調べました。

作者が腐女子


よく見る「腐女子におすすめの漫画」のような"まとめ"にはある共通点があります。
それは、そこに挙げられている女性漫画家に同人出身者が多いということ。

『黒執事』の枢やなは『テニスの王子様』で活動していました。
商業BLの単行本も何冊か出ています。

『D.Gray-man』の星野桂は『NARUTO』の二次創作で有名です。
ユーリ~も原案の久保ミツロウは過去にナマモノで同人誌を出しています。

その経歴が腐向けと言われる一因です。
仕事にも趣味が反映されているのではないか、と疑われてしまうわけです。

「厨設定が多い」(801板住人談)


これが言い掛かりのようでそうでもないという。
実際に読んでみると腐向け同人でよく見る設定がてんこもりなんです。

天才・美形・孤高・何がしか搾取される悲劇の主人公などなど。
女装ネタを盛り込むのも定番。

その界隈に親しんでいる人でないとピンとこないでしょうが。

BFで言えばアッシュが刑務所で襲われる(というか襲わせる)シーン。
天才ならもっと楽な方法を思いつきそうなものなのに……と思いませんでしたか?

彼の過去を仄めかす伏線とも解せますが、私は作者の趣味と見ています。

と言うのは、過去作『カリフォルニア物語』にも類似シーンがあるからです。
二作続くと「このパターンが好きなんだなぁ」と冷めた感想しか出てきません。

後で知ったことには、やはり"少年院萌え"の人だったようです。

 最初は小説道場でのお手本として第一話だけで完結していた作品だったんですが、挿絵の吉田秋生先生が「少年院萌え」の人であったがために、萌えトークが弾んでしまい、あげく勝手に続きを漫画に描いてきたため、薫もそろって大はしゃぎ。気がついたら連載に。そして大長編へ。

引用元:145 終わりのないラブソング - 栗本薫 全著作レビューhttps://kakuyomu.jp/works/1177354054882021661/episodes/1177354054882223150

吉田秋生は二次創作をしていませんが、『JUNE』でも仕事をしていました。
一般的な少女漫画家よりは腐寄りの人です。

少なくとも「ネコ同士だから成立しない」なんて相関図は一般的ではありません。


クィア・リーディング


趣味ではないなら社会的なメッセージを含んだメタファーの可能性も。

創作の世界では性的なテーマを寓意的に描き込む伝統があります。
直接的な描写なしにLGBTと評される作品があるのはそのためです。

ハリウッドですらマイノリティを正面から扱うようになったのは最近のことです。

それまでは分かる人にだけ分かるような演出で表現されていました。
詳しくは『セルロイド・クローゼット』をご覧ください。

アヤシイと感じる人は、そういったサブテキストを直感的に読み取っているのかも。

私の場合は『第三の男』がそれでした。
どことなく意味深な雰囲気を感じたのです。

のちに全英映像等級審査機構で同性愛映画に分類されていると知りました。

Homosexuality and The Third Man
http://www.screenonline.org.uk/film/id/591536/index.html

NYタイムズでもホモセクシャルの要素を含んでいると紹介されています。

FILM; Truer to the Main Men Of 'The Third Man'
https://www.nytimes.com/1999/05/09/movies/film-truer-to-the-main-men-of-the-third-man.html

あの名作文学も


もう一作、トーマス・マンの『魔の山』でも勘が当たりました。

本国ドイツでは、主人公は作者を反映したキャラとして両性愛者と解されています。
男女両方からクレヨンを借りるシーンがヒントになっているそうです。

ドイツ語版wikiには「鉛筆は陽物の象徴、これ即ち……」といった解説が。

Verbunden werden die beiden Aspekte seiner Sexualität durch das Symbol des Bleistifts: Sowohl von Přibislav als auch von Clawdia borgt er sich einen „Crayon“. Während letzterer „dünn und zerbrechlich ist“, wird der seines Schulfreundes für den pubertierenden Castorp fast zur Reliquie und weckt durch seine Größe und Gestalt phallische Assoziationen. 

引用元:Der Zauberberg -Wikipedia(2021年8月20日閲覧)
https://de.wikipedia.org/wiki/Der_Zauberberg

さすがフロイトの国やでぇ。

マンの著作は他に『トーニオ・クレーガー』や『ヴェニスに死す』も挙げられます。
その二作では直球なのに『魔の山』だけ暗号めいているのが不思議ですね。

そうそう、みんなダイスキ夏目漱石の『こゝろ』は海外でもゲイ文学扱いだとか。
そんなこんなで一概に腐女子の妄言とも言い切れません。

※この論法は「チェリー・ピッキング」、「牽強付会」の好例です。

腐媚び?が増えた理由


  • レーティング上、曖昧にせざるを得ない
  • グッズのセット買いを促す

ここまで読んで「初めからゲイ設定にすればいいのに」と思った方も多いのでは?
匂わせるだけで曖昧なのは中途半端で気持ち悪いと。

私も同感ですが、文化的・商業的に難しいようです。

保守層への配慮


どの国でもセクシャリティは扱いにくいものですが、宗教が絡むと格別です。
どれほど厳しいかというと……。

韓国……儒教+キリスト教
職業軍人の同性愛は(営外であっても)違法、懲役刑に処される
双方合意の上でも相互強姦と見做され、履歴上には「精神異常」と記載される
ブラックリスト入りして就職にも影響する

ある俳優は同性愛者であることを告白した途端に仕事を干されました。
カムアウトしてデビューしたアイドルもいますが、プロモーションは控えめです。

欧米ファンがゲイだと予想するK-POPアイドル18人(の前ふり)https://fuhouse.hatenablog.com/entry/2014/08/13/232626

そしてかの自由の国も(意外かもしれませんが)ガチガチに保守です。

アメリカ……さまざまな宗派が混在
清教徒の多い地域では性に関わる内容は古典小説でも発禁
「ボストンでは禁止」という慣用句まで生まれた
日本のアニメやゲームの設定もよく変更される

清教徒はもはや世界史用語ですが、現在も福音派など厳格な宗派は健在です。

特に『セーラームーン』のゾイサイト(オネエキャラ)が女性になっていたのが有名。
日本版を観て「これを子供向けで放送してたの?!」と驚いていました。

ちなみに、はるか&みちるも従姉妹という設定に改変されています。
それはそれで違和感があるような……。

と言ってもこれはまだマシな方。
内容によっては放送すらされない国・地域も少なくありません。

情操教育の一環


一方で多様性を認めろというクレームも多いアメリカ。
その対策案の一つとしてブロマンスは非常に有効だったはずです。

【関連記事】 ブロマンスの意味 キスしても友情とはこれ如何に

従来とは違うアプローチで同性間の関係を描きつつ、だがゲイではないのでセーフ!
保守とリベラル、両方の言い分を汲んだ内容を提示できるのですから。

また、米国ドラマでは有色人種を必ず登場させるというルールがあります。
この決まりはいずれ、あらゆる少数者に適用されると予想されます。

現にLGBTQキャラは高確率で登場するようになりました。
今では絵本の題材にもなっています。

"腐媚び"と呼ばれるそれが、子どもには道徳の教材となっているのです。

そもそも腐向けは腐女子が好む内容というだけで、誰が読んでも良いはず。
昨今の潮流を見るに「BL」カテゴリすらバッシングされかねません。

「同性愛表現を特異なものとして扱い隔離している」ってな感じに。
「アクション映画で男女がキスをしても恋愛映画とは言わないのに」とか。

今期大人気アニメ ユーリ!!! on ICE で ヴィクトルと勇利がキスをしたことの意義
https://illumination1710.hatenablog.com/entry/2016/11/17/133812

実際に男同士のカップルが主役でも恋愛模様がメインとは限りませんからね。
ホラー要素がある作品までボーイズ・ラブで括るのは雑だと思います。

拝金主義


日本の場合はマーケティング戦略と考えられます。
関連商品の主な購買層である女性をターゲットにした結果でしょう。

顧客が腐女子の場合
キャラクターグッズを攻め&受けのセットで購入する
カップリングの数に比例してセット購入者は増える

これにより一般的な客(単品買い)の倍以上の売り上げを期待できます。
それに味を占めたのか露骨なデザインも目立ってきました。

海外でも制作側が意図的にそういった要素を盛り込むことがあります。
BBC版シャーロックのイベントでは、キャストが二次創作を朗読させられたとか。

「シャーロック」カンバーバッチ&フリーマン、2次創作を朗読させられていた
https://eiga.com/news/20131224/6/

おそらく、この商法の元祖はイケメンが多数出てくる"キャラカタログ"作品です。
登場人物は大勢いるのにカップルがいない(少ない)アニメなどがそれ。

本来は夢女子向けなのかもしれませんが、こちらにとっても都合が良いのです。
作中で決まった相手がいないなら(創作で)自由に組み合わせられますからね。

BLアニメはペアが決まっているため、同人的にはそれほど旨味がありません。

反面、カタログ系は商魂が先行しているからか凡作が多いのが難点。
上述の足元を見た商品展開をはじめ、一部では非難の声も上がっています。

非難と言っても「いかにも狙っているのは萎える」程度のことですが。
ところが世界ではより深刻にクィアベイティングと呼び問題視されています。

(ちなみに腐向け、腐媚びは英語で"フジョベイト"と言います。)

所感と助言


  • 主観の問題
  • 文句は運営に

「BLっぽい」という感想には「作者やファンに失礼」と返す人が必ず出てきます。
この"失礼"は何に該当するのか、同人マナーと検索避けについても考えました。

啓発≠命令


腐女子の感想を見掛けた時は"おまそう"でスルーするのが一番です。

読書感想文に正解がないように、主観に口を挟んでも虚しいだけ。
第一、「そういうことを表で言うな」と言えば言論統制になりかねない。

マナーは喚起するものであって強要するのは間違いです。
言う言わないは相手の良識に委ねられており、そこに干渉は出来ません。

いえもちろん、腐話に対して反論する自由はあります。

「私はそんな風に見えない」と言える自由は。
それもまた感想の一つで、こちらも受け容れざるを得ない。

そもそも反論されたくなければ初めから公言しないはずです。
(このブログにはコメント欄がないですけど。)

ただ、これでは水掛け論に終始するでしょう。
だからどこかで"おまそう"を唱える譲り合いの精神が必要なのです。

お互いにね。

検索避けの極意


そうは言っても「二次創作そのものが苦手」という方もいますよね。
これはフィルタリングを活用するしかありません。

まずは(SNS等の)運営側にお問い合わせください。

「不適切なコンテンツの報告」「フィードバックを送信」から伝えられます。
意見を届けることでセーフサーチ機能の向上を期待できます。

インターネットは公開の場であり利用者に投稿するなと言うのはお門違いです。
明らかな違法でなければ執行力は及びませんし、権限もなく取り締まれません。

くれぐれもクレームを言う相手を取り違えないよう注意してください。

まとめ


  • 同人マナーは自分に課すもの
  • 反論も素直に受け止めること

繰り返しになりますが、私は友情とBLの間に違いはないと思っています。
というよりボーイズ・ラブの中に友誼が含まれると考えています。

つまり理解できていないのではなく、認識が違うだけなのです。

友達が少ないので本当に分かっていない可能性もありますが。
しかしこれについては腐女子に限らないことでしょう。

そもそも先に書いたように、他人の人間関係は外からは窺い知れないものです。
「体の関係はないから友だち」というのは偏見なんですよ。

とは言え私も"腐ィルター"という色眼鏡を着用しており、人のことを言えません。
ですから以下の二点に気を付けています。
自分の感性が絶対だと思わず、人の感想も一つの見方として楽しむゆとりが大切。
ただし言う側もそれ相応の反発を覚悟して発言すること。
どんな時でも人を非難する前に自身を見つめ直すことが大事ですよね。

最後にBFをさんざんネタにしてしまったので、ここでフォロー。
吉田秋生作品では『ラヴァーズ・キス』が好きです。

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腐女子が妄想の種を探して検索したことをまとめています。
ただしキーワードは無作為に選んでいるのでBLとは無関係。

巷でブロマンス・匂い系・BLっぽいと称される作品の目録も作成中です。

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